1937〜1945年

戦時下にあっても、つねに事業継続のための努力を

1937年、日本と中国は全面戦争に突入し、時代は太平洋戦争に向けて一気に動き始めます。戦時下にあって、様々な物資統制が始まり、ラジオもその例外ではありませんでした。
しかし一方で、人々は戦況を伝えるニュースを求め、ラジオの需要も高まっており、業界全体が資材不足と戦いながら生産を続けている状態でした。
そんな中で、徳次の指揮のもと、回路の工夫、トランスの不使用など、材料節約を極めたラジオを効率的に生産することで、旺盛な需要にこたえました。
また、事業を存続させ、従業員の生活を守るために、政府の求めに応じて、軍用の航空無線機の生産なども担い、血のにじむような努力を続けました。

1937〜1945年