1945年

終戦。戦後復興へ、まずは修理奉仕から

終戦から1週間、徳次は会社でラジオの無料修理サービスを始めさせます。
幸い工場は、戦火による被害を受けていませんでしたが、物資不足ですぐに生産体制を整えることも難しい状況でした。
それでは、各家庭で壊れたままになっているラジオを再生して、市民にラジオを聞く楽しみを取り戻してもらおう。
そのための技術なら会社に充分に残っている、という訳です。
連日、100人近くの修理希望の方に並んでいただいたといいます。この修理サービスを行なっている間に、徳次は当面の事業運営方針を立て、工場規模を縮小してラジオ生産に専念することを決めたのでした。

1945年