1951〜1953年

「次に来るのはテレビジョンだ!」の予見から20年。長年の悲願を実現

昭和に入ってまだ間もない1926年、日本で最初のテレビ実験が浜松高等工業学校(現・静岡大学)で成功します。
数年後に公表されますが、これを知った徳次は、「ラジオの時代の次には、必ずテレビの時代がくる」と予見。
学校に求人の連絡を取って、開発者の愛弟子を入社させ、テレビの研究を始めます。その時期はまだラジオの事業がようやく軌道に乗ったばかりの頃。
しかし、徳次はすでに次の一手を考えていたのでした。
以来、テレビへの熱意はずっと続きましたが、戦時中や戦後すぐは、当局の研究禁止の命令による開発停滞もあり、当社が実用的な試作品を完成したのは20年以上も経った1951年のことでした。
翌年、徳次は米国RCA社(Radio Corporation of America)と、特許利用を得るための技術提携を目的に渡米、帰国後、ただちに具体的な商品化を進めて、国産初のテレビを発売、量産化に踏み切ったのでした。

1951〜1953年