1953年

テレビはやがて「一家に一台」の時代へ。徳次の確信

日本でテレビ放送が始まってしばらくの時期は、テレビはまだ高価であり、業界ではホテルや喫茶店などの営業用に向く、17型に主力を置いていました。これに対して、徳次は、小型の14型に重点を置き、業界に先駆け思い切った量産体制を敷きました。それは、やがてテレビが一般に普及して「一家に一台の時代」が来ると確信していたからです。14型なら、日本人の生活する部屋の大きさに合う上、価格の点からも利点があると考えたのです。
さらに、量産工場で順次生産台数を増やすことでコストダウンをはかり、「1インチ1万円」、さらには「10万円を切るテレビ」と、低価格化を次々に実現し、業界をリードしていきました。需要は飛躍的に拡大、その思惑通りテレビは一般家庭にまで普及し、人々の生活を大きく変えるようになりました。

1953年