

* 所属及び役職、呼称につきましては、公開当時のものです。
「国産初のテレビを商品化したメーカーは?」と聞かれて、即座に「シャープ」と答えられる人は少ないかもしれない。いまや携帯電話、オーディオ、エアコン等の消費者向けの製品から、液晶・太陽電池等の電子部品まで作る総合電機メーカーではあるが、シャープ社内ではやはりテレビへの思い入れが強いという。さらにいうなら、日本で初めてテレビを発売したにもかかわらず、ブラウン管テレビの時代にはNo1メーカーになれなかった。そのことも、テレビに対する意識を強くさせている。
AVC液晶事業本部副本部長の中村もまた、テレビへの思いを強く持つひとりである。入社は1982年。3型TFT液晶プロジェクトに参加して以来、天理工場、三重工場、そして亀山工場と「液晶の地」を転々としてきた。中村はいう。「シャープはなぜ、テレビでNo1メーカーになれなかったと思いますか?それは、キーとなるブラウン管を作っていなかったからです」。やはりディスプレイ(表示装置)を自社生産しなければ、という思いが、後の液晶テレビ生産実現への大きな原動力になっている。シャープは、今から34年前、世界初の液晶表示付きポケット電卓※を商品化して以来、時計、ワープロ、ノートパソコンなど、次々と液晶搭載商品の新規市場を開拓してきた。「いつかはこの液晶で大型テレビを作りたいという気持ちをずっと持っていたのです」。
※ 1973年 世界初の液晶表示付きCOS化ポケット電卓を開発。

「亀山モデル」がいまではブランドとなり、液晶テレビアクオス=亀山工場というイメージが定着している。しかし、初代アクオスに搭載された液晶パネルの生産は、じつは同じ県内にある三重工場である。ここは、亀山工場が稼働するまでテレビ向け液晶パネルの開発・生産の中心地であった。当時、中村は、視野角、コントラスト、応答速度など解決すべき液晶テレビの課題に対し、それまでの液晶方式を一新し、まったく新しいASV液晶の方式を採り入れる。従来のパソコン用液晶とは異なり、メリハリのある高コントラストで2001年には30V型を、翌2002年には37V型アクオスを開発。三重工場が生産する液晶テレビは、サイズにおいても画質においても、ブラウン管テレビに勝るとも劣らない性能になっていた。
高品質の大型液晶テレビを安定的に量産することを目的に、液晶パネルからテレビまで一貫生産する亀山第1工場が2004年1月に立ち上がることが決まった。当時、開発センターの所長だった中村は、アクオス新シリーズの開発に追われながらも、あるひとつのことを考えていた。それは、「亀山工場でしか作れない液晶テレビ」の開発である。ブラウン管を目標にする時代はもう終わった。次はなにか?彼の答えは「大画面」・「高精細」だった。



ハイビジョン放送は、走査線1,080本という緻密さを持っている。ところが当時のハイビジョン液晶テレビは、シャープに限らず1,080本の走査線を760本前後に「間引いて」映し出すのが一般的だった。1,080本すべてを表示するだけの技術がなかったこともあるが、760本でも従来の画質に比べると充分美しいという声も大きかった。中村はこのハイビジョンテレビに異を唱えた。「送り手が1,080本で送信しているのに、受信機側が760本で満足しているわけにはいかない」。普段は温和な中村も、液晶技術に関しては負けず嫌いな一面をもつ。世界最大(当時)の45V型のフルスペックハイビジョン液晶パネルの開発はここから始まった。
予想されていたことだが、開発は困難を極めた。画質やコントラストの調整以前に、そもそも映像として表示できるのだろうか、そんな不安からのスタートだったという。テレビ放送は、1秒間に60コマ(フレーム)の静止画が連続して送られて映像となる。その1コマの間隔は、従来の放送もハイビジョンも変わらない。したがって、走査線が増え、画面が大きくなるほど、一度に沢山の映像情報を表示しなければならない。当然、液晶パネルの制御に与えられる時間は短くなる。大画面であるがゆえに視野角もさらに広げる必要もあった。それまでシャープが蓄えていた技術を壊しては、一から新しい技術を開発することの繰り返しだった。試作機がようやく完成したときには、2003年も暮れようとしていた。
2003年末、亀山工場でさっそく試写が行われた。初めて目にするフルスペックハイビジョン。「本当のハイビジョン、すなわちフルスペックハイビジョンの映像はどんな世界なのか見てみたい、というのも開発した動機のひとつだったのです。その美しさは想像以上でした」。映像が映し出された瞬間、その場にいた一同は息を飲んだという。
2004年8月に発売されたフルスペックハイビジョン液晶パネルを搭載した45V型デジタルハイビジョン液晶テレビは、かなりの高額にもかかわらず市場から大好評で迎えられた。やはり人々は、より美しい映像を求めている。そして日本のリビングでも大画面が受け入れられることを中村は確信した。40型クラス以上の大型液晶パネル生産を目的とした亀山第2工場は、このテレビの成功があったからといっても過言ではない。
亀山第1、第2工場の稼動により、デジタル映像時代にふさわしいフルハイビジョンの大型液晶テレビ市場を開拓したシャープ。液晶のエンジニアとして、中村にはもう課題がないのだろうか。「視野角、応答速度、コントラスト、色の再現性。液晶で表現したいと昔思い描いていた課題は、すべてクリアしました。しかし、クリアしてもクリアしても、次の課題が見えてくるんですよ」。
テレビの映像は特別なものだと、中村はいう。「コンテンツを楽しめたらいい時代から、感動を与えないといけない時代になりました。感動にはきりがないですから」。中村の仕事は、これからは未知の領域に踏み出す。いや、これまでと同じように。